Shintaro's Biography 1

俺が影響を受けた音楽を考えると、基本的には80年代の洋楽ポップスとメタルなんだろうと思う。

14歳でランディ・ローズに憧れてギターを始めて、最初にコピッた曲がCrazy Trainだったなぁ。

それからオジーの曲やジューダスプリーストなんかをやって、

イングヴェイもトライしたけど余り一生懸命はやらなかった。

ギターを買ってからは全然ピアノを弾かなくなってしまった。


最初に耳コピしたのはハロウィンのI'm aliveだったと思う。

確か高校1年の時に当時それのスコアが出てなくてじゃあ自分でトライしてみるかとやってみた。

ちょっとずつ毎日やって一応最後まで出来た。あれは重要だったと思う。


今も友人のドラムの将軍とは高校2年の時に知り合ってラウドネスのSDIとSPEEDを学際でやったっけ。

SDIやSPEEDはスコアを使ったけど多分それが譜面は最後だったと思う。


最初の曲は高校3年生の時に作った。

雪が降っている日にラジカセにピアノとクリーントーンのギターを入れて作ったアンビエント的な簡単なものだった。思い出補正も入っているけれど今も幾つかフレーズを覚えている。


その次に4トラックとドラムマシンを買って所謂メロスピみたいなのを作ってた。

この時の幾つかのアイディアは友人のMASAのユニットで使われてる。

曲はMASAが作っているけれどリフのアイディアとかアレンジで使わせてもらった。

http://texasmandanzig.wixsite.com/texasbulldozer

https://twitter.com/kanakonof


きっとここまでが俺のギタリストとしての第一段階だったんだろう。


大学に入って軽音楽部で楽しくやりながら俺は3年の時に考えた。

凄いギタリストはみんなオリジナリティがある。

一瞬で誰が弾いているか分かるし、その人特有のフレーズ流れがある。

少しでもそういうのに近づきたくて、まず音楽の勉強をもうちょい真面目にやろうと思って

ピアノ用の楽典を買ってきて独学でスケールやコードワークを勉強した。

訳わかんなかったけど実際に音を出してそれを繋いでいけば雰囲気がわかる。

それとジャズとかで不思議な雰囲気のパートがあったりすると良く聴いてコードとメロディ、その流れの関連性を研究してみた。

そこには代理コードを使ったコードワークのテクニックがあった。

RUSHやTOTOがそういうのを使っててスゲェなぁと思いつつ学ばせて貰った。

坂本龍一なんかも耳コピしたなあ。


それから習作みたいな複雑な曲を幾つか作ってダメ出しくらったりして凹みながらも続けた。

変拍子や転調まみれのものに飽きて、もっとハートに来るものを作りたいと思うと同時に

「さて、俺の音楽ルーツは何だろう?」とあらためて考えてみた。

欧米のミュージシャンが良く「俺のルーツはブルーズだぜ!」みたいなこと言うじゃん。

でも俺は日本育ちでブルーズを知らないからそれは血の中にきっと無い。

だからよーく幼いころの記憶を辿ってみたら良いのがあった!!!


お母さんの琴と三味線を良く聴いていた!


中高生の頃、2階でギターの練習をしていると、後日お母さんから指摘が入っていた。

「お前はまだ指と弦の間に空気があるような音がする。もっとキチッと押さえてしっかり弾かないといかんでね。」

と言った具合に注意される。


ヴィブラートとチョーキングが上手く出来ると

「今日は良い音で鳴ってたじゃないか」と褒められるのだ。

その弾き方はきっと今もしっかりと残ってる。


琴や三味線の音階は良く知ってる。

変形ペンタトニックが和音階に近い。

よし! 和物をロックに取り入れよう。


そうして1994年に「弥生」という曲を作った。

俺が知らないだけで「和」っぽいロックはあったのかもしれないけど、

俺はそういうバンドを知らなかったし、当時は「へへへ、誰もこれはやってないだろう」と思ってた。

この曲がきっかけで2001年か2002年位にコナミにスカウトされたんだ。


1995年には今も演奏している「天照」の原型が出来ていたし、

97年位には、そのうち演奏すると思うけど前のバンドThe New Romancerでは定番だった

「The tiger in the bamboos」という曲も出来た。

その後本格的にバンドをやりだすんだけど、それはまた後日!






Far East Guitar Hub

AstraのギタリストShintaroのブログです。